棋力

息子の将棋の棋力が急上昇中です。
今日は将棋教室で1級に昇級、2級になってから7連勝で一気に駆け抜けました。
初段が視野に入りました。
将棋倶楽部24で、4月初旬は300だったレーティングが6月1現在で1055まで上昇しました。
1000のレーティングは今年の目標だったのですが、半年も経たずに乗り越えました。
勢いが止まらないのが少々気持ち悪い(良い意味で予定を裏切られるため)です。
まぁ、ちゃんと大会で勝つ(全国を取る)ようになるためには4段でレーティング2400くらいになる必要があります。
現在、4年生ですが、6年生までにそこまでの向上を目指します。
マネージャーとしてはやりがいがある仕事です。
これからも二人三脚で精進して参ります。

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第二回電王戦の結果から思うこと

はじめてプロ棋士がコンピュータに負けました。

いつかこの日がくるのを覚悟しておりましたが、実際にはショックを受けます。

21世紀は産業革命期の際に肉体的作業で人間を機械が超えたように、頭脳作業も取って代わられるでしょう。

人間はすべての生き物で最強の頭脳を持っていると思っています。

しかし、自分たちが作り上げたものにその地位を奪われる感覚はうれしいものではありません。

 

もちろん、機械に美しい詩はかけないかもしれません。 何かをブレークスルーする力は持てないかもしれません。

ただ、パターン認識能力ははるかに人間を超えます。 私たちもパターン認識で生活していることが多いので、多くの人は何かをブレークスルーすることができません。

変異としてブレークスルーがあるわけですから、機械が何かを作り上げ、それを人間が良しと判断するとそれが芸術となります。

21世紀は機械が人間の世界に綺麗に浸潤して来るのでしょうね。 機械は人間的な善悪の判断を持たないかもしれません。

しかし、効率的な判断は行うでしょう。

いつの頃からか、人間の判断も効率に変容してきています。 倫理的価値は過去のようにも思えます。

効率重視の判断は機械が裏打ちしたものでもありますから、すでに私たちは価値さえも機械化しているのかもしれません。

データベースとネットワークという外部記憶に依存しているのです。

この文章もiPadという機械によって世界にネットワークされています。

この文章も何処かでデータベースとして残っています。 現前しているものは見えても、データベースとネットワークの姿は見えません。

 

これらの影響下にある人間存在のあり方が今後どのように変容するのか?

その辺りをじっくり追って行く必要があると思いました。

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子どもの将来

子どもの将来を考えるというのは親の重要な仕事であると思います
親のエゴを通す、子どもの意思を尊重する、流れ(運)に身を任せる。
この3つがすべてそろって同じ方向に向くと良い結果に行くんじゃ無いかなぁと思います。

息子に将棋を習わせ初めて、7月で2年になります。
最初は頭の体操のためと考えていたのですが、息子は親の期待以上に興味を示してくれ、努力する姿を見せてくれます。
どこまで強くなるのかは親の楽しみなのですが、それ以上にどれくらい興味が続いてくれるのかが、特別に大切だと思うのです。
将棋はゲームであり、人生の役に立つかはどうかわかりません。
だけれども、こんなに奥深い思考を求められるものもありません。

息子の将棋教室には特別な人にだけ用意されたコースがあります。
単純に強いと言うだけでなく、年齢(若ければ若いほどよい)、やる気、努力の姿、親の協力がそろったらそこに入れます。
メンバーは6名ほどで、入りたいという人の要望をほどんど断るコースだそうです(条件がそろわないため)。
そこに入った人は、全国優勝を狙うか、プロ棋士を目指します。
今日、そのコースに入るための面接に息子と行ってきました。
息子はこのコースに入れてもらえそうです。
週に一度5時間の特訓コースで、2年後の全国優勝を目指します。

ただ、一つだけ残念な情報を得ました。
息子の世代は将棋が強い世代らしく、相当に苦労するだろうと言うことです。
将棋にも松坂世代や、ハンカチ世代のような天才が続出する世代があります。
その例が羽生世代です。
羽生世代まで強い世代かどうかわかりませんが、荒波であることは間違いないようです。
とにかく、親としてバックアップできることはとことんしようと心に決めました。
プロになるためには年を取り過ぎていると言われましたが、努力でカバーできたらと思います。

頑張れ息子。
父はどこまでも応援するぞ。

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電脳化?

最近、攻殻機動隊にはまって、連続でアニメを見ました。

舞台は2030年前後と今から考えると少しだけ先の未来です。

その世界で人間は電脳化しており、脳がネットワークに接続されています。

自分の考えが人に筒抜けになるところまでは行きませんが、天才的ハッカーによって思考を乗っ取られることもある、そのような話です。

基本的には悪い人たちを公安9課の人たちが捕まえたり、殺したりする話ですが、その中にある哲学的内容に惹かれています。

人が電脳化・義体(体が機械になります)化することで、いったい自分の本質はどこのあるのかという問いです。

Ghostという意識によって、かろうじて自己の存在は保たれていますが、このGhostの存在もどこかで作られているのかも知れない、そのように「少佐」などは悩むのです。

かつてデカルトがすべての思考はデーモンのいたずらによって邪魔されているかも知れないと悩みました。

そこから、少なくとも今そのことを考えている自分は存在しているはずだという答えを導き出します。

「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という近代哲学の幕開けはそこから始まりました。

攻殻機動隊の中の問いである電脳化・義体化はデカルトが悩んだ内容が現実的に成り、テクノロジーによって自分自身を失っていく可能性を含んでいます。

 

現在、米国では脳の機能を解明しというという動きが活発になってきています。

脳に電極を埋め込んで、思考で機械を動かすという研究がすいぶん実を結んできています。

まさに電脳化・義体化が始まっているのです。

2030年には間に合わないかも知れませんが、そう遠くない未来に私たちの思考はネットワーク上につながれ、体は機械に取って代わられるのかも知れません。

私が私であるための要素はいったいなんなのでしょう?

また、デカルトのような大哲学者が生まれる兆しなのでしょうか?

 

恐怖と期待が入り交じる未来をアニメから垣間見た気がしました。

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プレゼンテーションについて考える

最近、いろいろな人のスピーチ(文章を読み)から学ぼうとしています。
たとえば、TEDなんかは学ぶに値すると思っていました。
いろいろな手法で、スキルを駆使して、聴衆に主張を伝えようとする姿は、教育者としての僕に必要なことであります。

「ただ、何かしっくりこない。
僕が主張したいことは何なのか?
誰にでもわかる簡単なキーワードなのか?」」

いろいろ自問自答します。
プレゼンテーションは人に伝わらなければ意味がないものであるのは確かです。
また、こちらの主張が滞りなく伝わるのが理想です。
いいたいことをかみ砕いて、オッカムの剃刀でそぎ落とした、無駄のないものがよいのでしょう。
そのようにわかっているのですが、まだしっくりきません。

では、僕の理想とするプレゼン(スピーチ)はどこにあるのでしょう。
僕はいつも村上春樹にかえります。
彼のエルサレム賞、カタルーニャ賞のスピーチが僕の理想なのです。
何度読んでもこころにぐっとくるのです。
ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチも良いですが、僕の中では村上春樹が最良なのです。
あのような本質を言い当てて、しかも、普遍的な考え方を僕はプレゼンしたい。

プレゼンテーションの手法、内容、いろいろと悩みます。
お腹の奥にぐっとくる、重厚感のある、そんな話し手に僕はなりたい。
あるいは志ん朝さんのような(僕にとってパーフェクトな)噺家になりたい。

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